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脱サラをしてラーメン店を始めたい人に役に立つ講座

第4回

災いは、ある日突然やってきました。

<妻の事故>

 五年程過ぎた土曜日、いつものようにパートさんと朝の仕込みをやっていますと、電話が鳴りました。相手は警 察の方でした。「何事か」 と思っていますと、「奥さんが交通事故に遭い救急車で病院に運ばれた」 と言うので す。思わず 「生きてますか?」 と尋ねました。幸い意識もはっきりしていて命に別状はないようです。パートさんに は店を臨時休業することを伝え、急いでシャッターを閉めて病院に向かいました。
 その当時、妻は自宅から駅まで原付自動車で通っていたのですが、その途中でかなりのスピードを出した車に はねられたようです。後から見たヘルメットの内側には髪の毛がべっとりとこびりついていました。もしヘルメット をかぶっていなかったなら命さえ危なかったようです。ヘルメットはとても大切です。
 病室に入ると、妻は左足膝から下を包帯で巻かれ横たわっていました。妻の状態は重症のようで手術をしなけ ればいけないそうです。私は一端帰宅し、入院の準備をしてすぐに病院に戻りました。手術は翌日にすることにな りました。
 妻の怪我は左足首の複雑骨折らしく、医師から 「足首の中にネジ状のボルトを埋め込む」 手術と聞きました。 それほど大きな怪我で大変な手術をするというのに、恥ずかしいことに私はお店のことを心配していました。手術 をして歩けるようになるまでリハビリを含めて約四ヶ月かかるというのです。もう私の頭の中は真っ白です。四ヶ月 間お店を営業できなくなるということは、収入が途絶えることを意味するのですから…。
 それにしても、今思い返してみると私は 「なんと冷たい人間だったか」 と思います。妻が一大事の時に妻の身 体のことでなく店の営業のことを心配していたのです。事故の連絡を受けて病院で妻に会った時、妻が最初に発 した言葉は「ごめんね」でした。妻も店を営業できなくなることを心配していたのです。
 翌日、手術の後に妻に面会に行くと、なんと妻の足首のところに直径五ミリ位のネジのような形をした鉄の棒が 横から突き刺さったままの状態で上からつるされていました。足首からネジ状の金属が両サイドにはみ出してい るのです。見ている方が恐くなるのですが、本人は痛くないと平然と話していました。妻のその状態を見たとき、 不思議なものでお店の不安も無くなりあきらめの境地なっていました。
 不安は無くなっても現実は変わりません。あきらめの境地となっても何とか営業しなければなりません。そこで その当時いたパートさんとアルバイトさんに事情を話し、本来の勤務以外にも出勤してもらうようにお願いしまし た。また、それだけでは人員が足りず、親戚や知り合いの人などに頼み、何とか通常の営業時間の半分くらいの 営業時間を確保することができました。その当時は売上げが好調でしたので、半分の営業時間でも利益は少し でしたが出すことができたのです。…十年後では考えられないことですが…。
 その時に普段の勤務時間以上に出勤してくれたパートさんアルバイトさんにはとても感謝しています。その時を きっかけに退職していった人もいるのですが、妻の足にネジ状の金属が刺さっているのを見た時に不安が無くな っていましたので不思議と落ち着いた気分でいることができました。 
 そうは言いましても人手が足りないのが現実です。そこで求人広告を出しました。すると運良く新しいパートさん を採用することが出来、急場をしのぐことが出来ました。結局、営業できたのは平日の昼間だけとなり夜はアル バイトの人が出勤出来る数日だけとなりました。
 この時に感じたのが、「半日だけ営業することの効率の悪さ」 です。半日だけの営業であっても次の日の仕込 みはしなければなりません。するとその作業にどうしても夜の八時くらいまでかかってしまうのです。通常ですと、 夜も営業しますのでその時間の空いているときに翌日の仕込みをすることができ、夜の時間を有効に使うことが 出来ます。しかし、夜の時間を営業しないとなると、ただ火を使って翌日の仕込みをするだけということになってし まうのです。普段は何気なくやっていた作業ですが、そのことが強く印象として残っています。
 このような状況で二ヶ月ほど営業していたのですが、パートさんたちには無理をいって出勤してもらっていまし た。ですから、その勤務体系をあまり長く続けることも難しいものがありました。パートさんたちにもそれぞれ事情 がありますので長期間無理をお願いすることは憚れました。
 私自身も二ヶ月を過ぎた頃から、最初のあきらめの境地から普通(本来)の感覚に戻り始めていました。そうし ますと、つい妻に早く直るように文句を言ってしまうのです。妻にしてみますと文句を言われても仕方のないことで すが…。それでも少しでも早く通常の営業時間に戻したくて、妻と同じくらい大怪我をした人よりは早めに仕事に 復帰してもらったのです。本当に、今振り返ってみますと私は妻には冷たかったのです。でも、そうしないと生活で きなくなるのです。それが個人商売の現実なのです。
  尚、このとき埋めたボルトは一年後に取り出す手術をしました。このときも妻には一週間で仕事に復帰してもら いました。
 本当に私はひどい男です。けれど、妻の足首に埋めてあったボルトを私は今も大切に持っています。私はロマ ンチストなのです。ヘヘヘ…。

<自家製へのこだわり>

 私はラーメンにこだわりがありまして、できるだけ自家製にしたいと考えていました。しかし、最初に書きました ように調理の経験などないわけですから作れるわけはありません。ですから、本部に指定された業者から食材料 を仕入れていました。FCに加盟しているのですから当然、本部との契約によりそうしなければいけなかったので す。それでも 「いつか自家製にしよう」 と料理の本を読んだりしながら勉強はしていました。
 私は、他のラーメン屋さんに市場調査の意味も含めてよく行っていたのですが、結構多いのが自家製ではなく 業者で作られた食材を使用している店です。
 例えばメンマや餃子などはほとんどの店がメーカー品でした。チェーン店の場合は共通のものを使用するのが 当然ですが、チェーンでなくとも現在は問屋さんで業務用としていろいろな食材を売っています。しかし、それでは ラーメン店として意義がないのではないか、と思い始めていました。
 もう一つの理由として、自家製にすることによって原材料費を抑えることができることです。業者で加工されたも のを買うより、加工される前の原材料を買って自分で作った方が安くなるのは当然です。そこでFCを脱退したの を機に “餃子” と “メンマ” と “麺” を自家製に切り替えました。
 餃子は最初から、具だけを本部より仕入れてそれを店内で包んでいました。その具を自分で作るようにしまし た。そのときの問題は作る量が半端ではないことです。
 餃子は、材料にキャ別を使用するのですがそのキャ別を刻むのにあまりにも時間がかかるのです。これではと ても「時間的に割に合わない」と思い、問屋街に行って電動機式カッターを買ってきました。この器具を使います と、包丁で刻むのに比べ半分以下の時間で済みます。自家製にするのに一番の問題は時間の確保なのです。 キャ別をこの器具で切るようにしたことによって餃子はスムーズに自家製にすることができました。
 チェーン加盟時、メンマは全て業者が作ったものを使っていました。つまり味付けもされていたことになります。 そのメンマを自分で味付けをして自家製にしようと考えました。
 メンマの原料には 「干しメンマ」 と 「塩漬けメンマ」 があるのですが、どちらを利用するかで悩みました。
 最初は「干しメンマ」を使っていました。価格的に割安だったからです。しかし、読んで字の如く「干してある」メン マですので、それを戻すために一定時間煮る必要があります。その手間と時間を考えた場合、効率的でないよう に思えました。ですので、割高ではありましたが途中から 「塩漬けメンマ」 に切り替えました。
 「塩漬けメンマ」 は 「干しメンマ」 のように煮る必要はありませんが、「塩を抜く」 必要があります。しかし、その 作業は前の晩に水に浸しているだけで済みますので、あとは味付けするだけで、トータルで考えてそれほど時間 がかからなかったのです。
 先程も書きましたが、ラーメンの材料を自家製にする場合、最も考えなければいけないのはそれを調理する時 間をどうやって確保するかです。今までより作業が一つ増えるわけですから難しいのです。味付けは自分の味覚 に合わせればいいのです。自分でおいしいと思えばそれを提供すればよいのです。それを見つけるために何回 も試行錯誤するのは当然ですが…。


 麺を自家製にした時は大変でした。中々、納得のいく麺ができなかったのです。麺を自家製にしよう、と思った きっかけは製麺機会社よりダイレクトメール(DM)が送られて来たことです。「誰でも簡単にすぐ麺が作れる」 と書 かれていました。
 それから製麺機会社の情報を集めようと、飲食店用の雑誌などで調べました。調べていくうちに、ほどんとの製 麺機会社の住所が遠いことがわかり、その中で一番近い会社に電話で連絡を取り訪問することにしました。
 その製麺機会社が住宅街の中にあったのは驚きでした。私が想像していたのは、町工場などが集まった工場 群の中にあると思っていたのです。製麺機を作る際には騒音が出ると思いますが、その苦情が近隣の住民から 来ないかと心配になりました。私自身が近隣のクレームに苦労したこともあり、すぐにそういったことが頭に浮か ぶのです。
 その会社に着くと、最初に奥さんらしき人が応対してくれました。それから社長が出てきて商品の説明の後、実 際に目の前で作ってみせました。話を聞いていると、製麺機を使用している店はそば店やうどん店が多く、ラーメ ン店では少ないようです。基本的にラーメン店は製麺業者から麺を仕入れるのが一般的なのでしょう。
 社長が実際に麺作っている様子を見ていると、簡単そうではありませんが何とか 「自分でも作れる」 感じがしま した。しかし、製麺機は百万円以上もしますので慎重に決めなければいけません。せめてあと一社は 「違う業者 にも話を聞きたい」 と考えていました。その日は契約することもなくそのまま帰宅することにしました。
 その後、晴海で飲食店向けのフェアが行われることを知り妻と出かけました。とても大きな会場で食材から道具 類、飲食店に関連するものが全て揃っています。入場するだけで千円を取られました。
 その中で製麺業のコーナーへ行ったのですが二社ほどしか出展していませんでした。その中の一社の営業の 方に作り方やその能力(一時間で幾つ作れるか)、製麺機の価格などいろいろ質問しました。しかし、こういった フェアに参加しているせいかあまり親切、丁寧に答えてくれる雰囲気はなくがっかりしました。帰りに電車の中で 妻と話し合い最初に訪問した会社で買うことに決めました。

 後日、最初に訪問した会社に電話で購入する旨を伝え、会社に赴き契約を済ませました。製麺機は百万円以 上するのですが、現金で買うほどお金持ちではありません。そこで分割にするのですが、その時に迷ったのが 「ローン」 にするか 「リース」 にするかです。
 私が開店後に百万円を越えるものを買うのは二度目でした。
 一度目は自動洗浄機で、確か三年目でした。この時もDMが送られてきて購入することにしたのです。DMとい うのは中々効果があるものですね。この時も人手が足りない状態が続いており、しかもとても忙しかったので「洗 いもの」に人手を使うのは人件費の無駄だと考えていました。それ以前に知り合いのラーメン屋さんで使っている のを見て、便利だと感じていたのも影響していると思います。
 DMが送られてきたタイミングが良かったのでしょう。人生、タイミングです。その自動洗浄機を購入する際に営 業マンがしきりに勧めたのがリースでした。当店には、いろいろな機器や冷蔵庫など高価な製品を販売する営業 マンの方がよく訪れていました。その際に営業マンのほぼ全員が異口同音に口にする台詞が 「リースだと月々 の支払いを全額経費にすることができ、一日で考えるとその支払いは少なくて済む」 というものです。
 一度、リースとローン、「本当はどちらが得なのか、有利なのか」 をある営業マンに詳しく聞いたことがありま す。しかし、その営業マンも詳しく分かっていないようでした。ただ、会社から 「リースでの販売の方が売りやす い」 と指示を受けている感じです。
 この程度の知識しかありませんでしたが、「試しに」 と思い、自動洗浄機はリースで買うことにしました。六年で 契約期間は終了したのですが、その後は年一回契約期間中の一ヶ月分の金額を支払っていました。つまり、一 ヶ月分のリース料で一年間リースを受けていたことになります。
 このような経験がありましたが、その時点でもローンとリースどちらが 「自分にとって有利なのか」 は判断がつ きませんでした。結局、確たる理由はありませんでしたが、製麺機はローンで購入することにしました。
 確たる理由がなくローンに決めたのですが、一つだけ影響していることがあります。
 私の店舗は私が開業する前までは弁当屋さんが入っていました。その弁当屋さんはリース物件がいくつかあっ たようで、私が開業してからもリース会社から弁当屋さん宛の督促状が何通も届いていました。半年は続いたで しょうか。このような督促状を目にしていますと、「リースは契約が終了しても自分の所有にならない」 という気持 ちがおき、それに対して 「ローンは支払が終わるあとは自分のものになる」 という気持ちが強く残っていました。 そうしたことが私に気分的な影響を与えていました。
 しかし実際の所、経費や税金の面を考えると本当は 「どちらが有利なのか」、今も私は分かり兼ねています。

 製麺機は三百キログラムを越えるらしいです。製麺機が運び込まれる前日は、それを置く場所を作るのに深夜 遅くまでかかってしまいました。製麺機の置き場所は倉庫内と決めていましたが、そのための場所を作る必要が ありました。倉庫にある棚を壊して製麺機置き場にするつもりでしたが、その棚を壊すのに手間取ったのです。
 製麺機は全体の大きさもかなりあり、倉庫に運び込むための通路も確保しなければなりませんでした。さすが に途中で管理人さんが 「大きな音がするのだけれど何をやっているの?」 と聞きに来ました。よほど騒音がした のでしょう。
 当日、業者の社長と従業員一人、トラックで到着しました。なんとか苦心しながら運び込んだ後、社長が作り方 を教えてくれました。購入契約の前、製品の説明を受けた際に 「搬入時に作り方も教える」 という確認していまし た。そうした約束がありましたので、私としては二、三時間みっちり教えてもらえる気持ちでいました。しかし、実際 は 「作る流れを簡単に三十分程説明しただけ」 で帰ってしまいました。その間、一回だけ私が実際に麺を作らせ てもらい、その私が作る様子を社長が横から見ていただけでした。私としてはそのような教え方、しかも一回だけ では 「うまく作れるようになるわけがない」 という気持ちでした。
 しかし、社長たちが帰ってしまっては自分で練習するしかありません。その日は夜遅くまで練習しましたが、や はり一日では無理でした。それから一週間ほど練習を積み、何とか麺の形だけはできるようになりました。この練 習も営業を終えたあと毎日夜にしましたので本当に大変だったのです。
 麺の形だけは作れるようになったのですが、麺の触った感じ、歯で噛んだ感じが今ひとつでした。ラーメンの麺 は小麦粉に “かん水” という溶液を混ぜて作ります。その他に塩なども入れたりはしますが基本は小麦粉です。 小麦粉にも強力粉、準強力粉など種類があります。その性質もメーカーによっても違いますし、又その銘柄によ っても違います。
 そこで、問屋さんに小麦粉の一覧表を頼みました。一覧表を見ますと、約三十種類ありました。製麺機会社に 教えられた小麦粉で作った麺は 「今ひとつ」 でしたので、自分でリストの中の銘柄から選び、それらをいろいろと 混ぜ合わせたりして、やっと自分の納得できる麺ができました。私としてはもっと簡単に作れると思っていたので すが、小麦粉を決めるのに時間がかかりました。やはり満足のいく麺を作るのは容易ではありません。機械の動 かし方にも一ヶ月ほどで慣れ、その後はスムーズに自分の納得した麺が作れるようになりました。

 私は自家製にこだわって麺まで作るようにしたのですが、お客様にしてみますと自家製麺であろうが、製麺業者 が作った麺であろうが全く関係のないことです。食べてみて自分に合えば 「おいしい」 と思いますし、合わなけれ ば 「今ひとつ」 と思うのです。そのように考えますと、自家製というのは自己満足にすぎないのかもしれません。し かし、私にとってみますと、収益の面からいって原価率の低減につながりますし、何より「せっかくラーメン店をや っているのだから」という自負があるのです。

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 店を営業するということはラーメンを売ることです。しかし、それ以外にやらなければいけないことが山ほどあり ます。そうした中で、自家製にするには人員を増やすか営業時間を減らすかしかありません。そのバランスも考 える必要があります。

<第4回>  肝銘

≪ 作業の時間の配分を常に考えよう。≫

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