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脱サラをしてラーメン店を始めたい人に役に立つ講座

第2回

今回は私自身の開店時の様子をお伝えします。

<やっと自分の番だ>

 たった三日程度の、そして合計十五時間程度の研修で不安はあったものの、小規模で管理の厳しくないFCを 選んだのは自分ですから納得するしかありません。私の開店日も決まり夢と希望で胸が一杯になっていました。
 そんなある日、「アルバイトはどうやって探すのか?」 という疑問が沸いてきました。そのことを社長に尋ねる と、「店の前に募集の紙を貼っておけば良い」 と言うのです。そういえば開店を手伝った店もアルバイトは一人も いませんでした。その時は気が付かなかったのですがオーナー夫婦以外は中学生くらいの子供さんだけでした。 開店の忙しさを考えると私と妻の二人だけでは対応出来ないことは明らかです。またまた、不安が一杯です。本 部の方で誰か応援をよこして欲しい旨を頼みました。

 私と妻は開店に向けての食材の手配や挨拶回りなどで人を捜す余裕などありません。そうした中、開店三日前 に女子高生二人をアルバイトとして採用することができました。驚きでした。店の前に紙を貼っておくだけでも応 募する人はいるんだなぁ、というのが正直な気持ちでした。それにしてもこれは運のいいことでした。よく妻と話し たのですが、あの時ほど嬉しかったことはありません。もし、あの二人が応募してくれなかったらと思うとぞっとし ます。しかも、二人のうち一人は飲食店でアルバイトの経験がありましたので充分な戦力となったのです。
 一応アルバイトも二人決まり喜んでいると本部より連絡があり、開店初日は本部の店長が応援に来てくれるこ とになりました。これで初日だけは一安心です。しかし、開店の準備は妻と二人でやらなければなりません。しか もほとんど慣れていない状態ですので何をどうすれば良いか分からずとても満足のいく準備とはいえません。そ れから有線放送の設置が開店に間に合わないということが分かり、愕然としました。
「このままでオープン出来るのか? オープンを延期した方が良いのではないか」
 と考えましたが、開店のチラシが配布されるのでいまさら延期などできるはずもありませんでした。

<いよいよ開店だ>

 開店日前日は、結局仕込みに深夜一時頃まで掛かりました。身体は疲れているはずですが、期待と不安と緊 張でその夜はあまり眠れませんでした。
 いよいよ開店日当日を迎えました。不思議なことにここまで来ると不安は無くなるものです。開店三十分前に本 部の店長が到着し、最後の打ち合わせをしました。アルバイトの高校生にレジの打ち方、定価などを教えました。 本来はアルバイトにはアルバイトなりの研修を何日か前からしなければならなかったのですが、こちらもそんな事 は考えもつかず、当日を迎えたのです。

 午前十一時、開店です。お客様は本当に来るのか? 緊張で一杯です。
 十分ほど過ぎた頃に二人組の男性が入ってきました。感動です。生まれて初めてのお客様です。しかし感動に 浸っていられたのはほんのちょっとの間でした。二十分後には焦りに変わっていました。「何故っ?」 て、お客様 が次から次へと来店するからです。外には順番を待っているお客様が列をなしています。注文がいっぺんにきま す。
 前章で書きましたように、私より前にオープンした店を手伝いに行った時、私は「ある程度できる」と自信を持っ ていました。ですが、自分がその立場になるとパニックに陥ってしまったのです。何からやっていいのか考えられ なくなり、頭が真っ白になってしまいました。結局、本部の店長に大部分の調理をやってもらい、私は皿洗いに徹 することしかできなかったのです。
「情けない!!」
 それでも、一時間ほど経った頃にもう一度気持ちを入れ替え調理に挑戦しました。しかし、パニックになったの は変わりませんでした。自分がなにを考え、どう動いたから全く記憶がありませんでした。
 ラーメン店はお客様の来店に波があります。午後三時頃になるとお客様もまばらになります。その時になってや っと初めて全体の流れが掴めるようになってきました。
 初日は私と妻、高校生二人、本部の店長と五人で店を回したのですが、二日目は店長は応援に来ません。
「とてもじゃないが、今の私の技量、能力、状態で四人でこなすのは無理だ」 と思えました。考える余裕ができる と不安が襲ってきます。店長に 「明日も、何とか、あと一人応援を」 とお願いをしました。店長も店の状況からみ てわかったのでしょう。「探してみよう」 という返事です。私はその言葉に期待するしかありません。

 夜のピークタイムも同じような忙しさです。なのに、高校生二人は午後九時、店長も九時過ぎに帰ってしまいま した。その後は妻と二人きりです。昼間以上の忙しさでした。午後十一時、やっと閉店です。疲れがドっと出まし た。
 初日はクレームの山でした。私も自分のことだけで精一杯で、その他のことに目を配ることができませんでし た。閉店後まで食事は一切取れず、朝九時から十六時間、立ちっぱなし、動きっぱなしです。本来はお客様がた くさん来店したことが嬉しいのでしょうが、喜んでいる余裕はありません。「こんな状態でやっていけるのか」 とい う、売り上げの心配ではなく、体力が続くのか、店を運営していけるのかという不安の方が大きくなったのです。

<やはり準備不足だ>

 二日目は店長の代わりに、以前 「本部の直営店でアルバイトをしていた」 という大学生が応援に来てくれまし た。一応人数だけは揃いましたが、ハチャメチャぶりは初日以上でした。クレームは初日同様でした。三日目は 応援は全くなく、高校生のアルバイト二人と私たち夫婦の四人で営業です。
 四日目に “とんでもないこと” が起こりました。
 新規開店に伴い、開店セールということでチラシを配布していたのですが、チラシには “開店日より三日間らー めん半額” と宣伝していました。
 “半額セール” は三日間だけですので当然四日目からは通常の値段で営業していました。ところが、四日目の 夕方間近の午後に来店されたお客様が、お会計をする時に 「らーめん半額じゃないの?」 と訊いてきたのです。 私が 「半額は初日より三日間だけで昨日で終了させて戴きました。」 と答えると、そのお客様が 「チラシは今日 の折り込み広告に入っていた」 と言うではありませんか。私は驚きながらもそのお客様を半額にし、あわてて折り 込みを調べました。すると確かに今日の新聞に入っていたのです。仕方なく四日目よりも三日間、半額セールを 延長しました。
 開店してから三日間はとても売れたのですが、その理由は 「チラシを打ったから」 と私は思っていました。しか し、実際はチラシの効果ではなく、開業前に内装工事をしていたこと、開店の花輪を出していたこと、これだけの 理由でお客様が来ていたことになるのです。オープン景気とは言いますが、これほど効果があるとは思いません でした。
 それはともかく、お客様からの立場からしますと、この一週間はマイナスのイメージが強かったように思います。 人員の問題が一番です。その影響で全てが狂っていきました。仕事に余裕がなく、他に神経を配ることができな かったのです。この時期にいらしたお客様は当店にいい印象は持たなかったと思います。本部が入念な 「サポー トをしてくれなかった」 との思いはありますが、その本部を選んだのはあくまで自分です。小規模であまり管理の 厳しくないFCを選択した責任があるのです。
 開店してから一週間の間に新しいパートさんが二名決まりました。しかし、高校生の二人は辞めてしまいまし た。理由は、六日目頃より忙しさも落ち着いてきましたので 「二人の働く曜日を一人ずつに分かれて欲しい」 とお 願いしたからです。しかし、高校生たちは 「二人で一緒の日でないといやだ」 ということでした。パートさん、アル バイトさんを雇った経験が無く、従業員の心理まで読めていなかったのです。軽い気持ちで安易にお願いしたの が間違いでした。他人を雇用する、管理するということはとても難しいことです。まだ三十才そこそこの私ではまだ まだ勉強不足、経験不足でした。…といっても、この悩みは最後まで続くのですが…。

<忙しさの後に>

 開店して二週間も経つとお店のオープン景気も治まってきます。開店時の忙しさが嘘のようです。特に夜の時 間帯が顕著です。お客様が一人もいない状態ということがあるのです。私は、あまりの不安に他の店の状況をよ く見に歩き回りました。
 今度は売り上げの心配です。何しろ借金の返済がある上に貯金は全て使い果たし、お金がありません。売り上 げが無いということは、すなわち即、生活できないということです。そこで考えたのが店の定休日を減らすことで す。次に営業時間を延長しました。これくらいしか思いつきません。
 立ち仕事は久しぶりでしたので本当にこたえます。一日十五時間立ちっぱなし、動きっぱなしです。
 三週間を過ぎた頃、足があまりに痛いので長靴を脱ごうとしたら脱げないのです。妻にやっと脱がしてもらい、 足を見ると両足首から先が異常に腫れているのです。帰りに深夜救急病院に行ったのですが原因不明と言われ ました。これも立ち仕事に慣れるしかありませんでした。本当にラーメン店は体力勝負なのです。

 二ヶ月経った頃、本部で一緒に研修を受けたKさんから電話がありました。Kさんは私とほぼ同時期に開店して いました。そのKさんが 「お店を廃業する」 と言うのです。理由は売り上げ不振だそうです。廃業するにあたって 「残っている食材を買ってくれないか」 という電話でした。私にとっては戦友ですので、もちろん了解しました。Kさ んは私より5才くらい年長ですが、どちらかというとのんびりしているタイプで 「ラーメン屋さんには向いてないので は…」 という感じはありました。それにしてもこんなに早く廃業するとは驚きです。
 数日後、Kさんが食材を車に詰め込んでやって来ました。さすがに落ち込んでいます。話を聞くと、やはり売れ たのは最初だけだったようです。本部に対する不満を言っていましたが、今更言っても仕方がないことです。Kさ んも開業にあたり借金をしたようですが、幸いにも不動産を持っているらしく、それを処分して借金を埋めるそうで す。他人事ではありません。私の場合は不動産などありません。尚一層、身が引き締まる思いがしました。

 開業時に高利の業者から融資を受けたことは前に述べましたが、やはり毎月の支払い額が高いのです。初め の三年間は借金を返すために働いていたと言っても過言ではないと思います。金利の低い融資を受けられてい たならもっと楽なのに…、と何度思ったことでしょう。借金を返し終えた時は本当にホッとしました。初めの三年間 を無事、何とか乗り越えられたことがその後十年以上続けられた大きな要因だと思います。

<初めて正社員を雇った>

 やっと落ち着いてきたオープンして二カ月と半分過ぎた頃、閉店後に高校生くらいの男の子が 「アルバイトをし たい」 と店に入って来ました。店頭の貼り紙を見ての応募でしたあ。
 その頃、昼の部は人員が足りていたのですが、夜の部は一人もいませんでした。そのような状況でしたので喜 んで採用しました。話を聞くと、高校を中退したようです。そうした経歴でしたが、働いてもらうと性格はいいし真面 目だし、申し分ありませんでした。
 彼を採用してしばらくして、夜の時間帯の人員確保のために、彼に 「正従業員になってもらおう」 と考え始めま した。正従業員になってもらえたなら人員の募集に関して苦労せずに済みます。アルバイトのように簡単に辞め ることもないだろう、と考えたのです。経営的に考えるなら、それだけ人件費が増えることになりますので好ましい ことではないのですが、人員が足りず“人件費”のことを考えるより “人員の確保” のことばかりを考えていた時 期です。
 早速、本人に相談してみますと、快く了承してくれました。給料は月給制にし取り敢えず夜の時間帯をお願いす ることにしました。
 アルバイトではなく正従業員になってもらったのには、夜の時間帯の人員確保という理由以外にも理由がありま す。飲食業は日曜祭日が一番売れるのですが、反対にそれらの日は、人員の確保がとても難しかったのです。 それをカバーするためにも正従業員はどうしても必要でした。
 また、子供に関することも理由です。子供の通う保育園も日曜祭日は休みでしたので妻が店に出ることはとて も困難でした。彼を正従業員にすることで、私はとても救われた気分でいられました。人員の心配をしないで済 み、売り上げのことだけを考えていれば良かったのですから…。
 ところが、彼が正従業員になって一ヶ月を過ぎた頃、彼から 「店を辞めたい」 と言われてしまいました。その 夜、仕事が終わってから話を聞くと、彼の知り合いから「もっと大きな店に誘われている」ということでした。私にし てみますと困ったことですが、彼の立場で考えてみますと当然のことです。私の店は個人で営業しており、社会保 険もなければボーナスもないような金額です。それに比べるなら、企業という法人になっている方が働く人は安心 でしょう。私が彼の立場でもそうしたと思います。
 それにしても偉いのは彼の姿勢です。姿勢とは態度ではありません。気持ちです。実に真摯に私のことを思い やりながら話すのです。「自分が退職すること」 によって私の店が困ることを慮っての姿勢です。私が高校生の 時と比べると月とスッポンです。私としては引き留められるはずもなく…。
 そんなわけで初めての正従業員は一ヶ月足らずで辞めてしまいました。それにしても、よくよく考えてみるとまだ まだオープンして二ヶ月しか経っておらず、しかも借金も山ほどある身で月給制の従業員を雇おうなどと考えるの は身の程知らずだったといえます。
 しかし、彼が辞めた夜は「これからどうやって人員を確保しようか」と不安に襲われてきました。妻にその不安を 相談すると 「大丈夫、なんとかなるわよ」 と実にあっけからんと言うのです。その言葉にとても励まされた記憶が あります。ある老俳優が「いざという時に本当に強いのは女房の方だよ」とテレビで語っていたのを思い出しまし た。

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 本当に、他人の店を手伝うことと自分の店を運営することの違いを感じました。あらゆることの「全責任が自分 にある」ということはとてつもないプレッシャーでした。私が三十才という年齢で始めたことも理由にあると思いま す。それまで責任のある役職を全く経験したこともなかったのです。私の個人的な資質もあるでしょうが、仕事中 は無我夢中ですからよいのですが、夜一人になるととても不安でした。

<第2回>  肝銘(肝に銘じること)

≪ 全ては自己責任。他に頼ることはできない。≫

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