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脱サラをしてラーメン店を始めたい人に役に立つ講座

第14回

厨房の中から見ると違って見えます。

<らーめん屋の眼でみたら・・・>

 注:最終回ですので敢えて<らーめん屋>とさせて戴きました。

 私は新聞を読むのが好きです。特に投書欄はとても参考になります。その時に必ず目に留めるのが職業と年 齢です。その従事している職業によって考え方も違うなぁと思ったり、又同じ職業でも年齢によって考え方は異な るものです。人間は自分が経験したことでしか物事を判断することができません。その経験の長さと深さで考え方 も変わってきます。そこが投書欄が参考になる一番の理由です。そして、私の考えと異なる意見を見るときなど は一人で考え込んでいます。

 新聞を読んでいましたら次の記事が目にとまりました。

 「近くに大きなスーパーができた為、自分がよく行く小さな店が潰れてしまった。そこでは世間話もし、そこのお ばさんは人柄も良いのになくなってしまうのはとても寂しい」

 と大まかにいうとこういう内容です。私も同じような理由で廃業したのですが、このように投書された方もやはり 大きなスーパーを利用することはあると思います。その利用する時の理由は 「値段が安い」 「品揃えが多い」 「清潔感がある」 などといろいろあるのでしょうが、そういうことが消費者全体に起きているのです。そこには市場 原理、競争があるのです。資本主義の世の中では当然のことです。一言でいうと 「小さな店に魅力がなかった」 ということなのです。大きなスーパーが値段が安かったり、品揃えが多かったとしてもそれを上回る魅力が何かあ れば小さな店は廃業する必要はなかったはずです。その理由が高齢のためであるならば後継者を作ることをし なければいけないのです。
 企業は永遠でなければならないとよく言われますが、企業には働いている従業員が多いところでは数万人もい ます。企業が倒産したならばその人たちが路頭に迷うのは山一証券等で立証済みです。大きなスーパー同士で も競争があるのです。そしてそれを求めているのは消費者なのです。消費者は競争が起きることによって生ずる 利益(値段の安さや、利便性)を大歓迎しているのです。戦後、企業中心の社会から現在のように消費者中心の 社会に変換しつつある今、当然のことではないでしょうか。
 仮に「小さなお店が潰れるのは忍びない」からという理由で何かしらの延命策を政治的に行うなら、損失を被る のは結果的に消費者です。しかし、戦後このように企業を育てることを中心にしてきたことが行き詰まっているの です。そして変換を求めているのです。このように考えていきますと、小さなお店を続けられなくしたのも消費者で あり、又それでは寂しいと感じるのも消費者なのです(この消費者という時、消費者の多数決がなされていま す)。
 小さなお店を廃業せざるを得なかった私にはそう感じられます。消費者はこの相反する矛盾することに直面し ているのです。
 私が飛び込んだらーめん業界は規制がほとんどなく自由な環境でしたので競争という面ではとても激しいもの がありました。しかし、自由であったからこそ私が始めることができたのも事実です。規制が厳しければらーめん 店を始めるのはもっと困難であったでしょう。困難どころからーめん業をやろうとさえ思わなかったかもしれませ ん。そういう意味で言いますと、規制がないこと “自由” であることは始める側にとってもいいことなのです。規制 があることを望むのは既成の企業だけかもしれません。規制があることによって競争をする必要がないからで す。現状のままでなにも努力をしないでいても安泰としていられるのです。
 しかし、こうした状況は消費者にとっては損失です。“自由” は消費者、生産者どちらにとっても大切なことで す。そして“自由”であるための条件として平等、公正さが必ず必要です。平等と公正さを欠いた “自由” は、もは や “自由” ではなくなってしまいます。平等と公正さを伴ってこそ “自由” と呼ばれるのです。これからの市場は 自由、公正、国際化が求められると言われますが、それによって消費者が幸せになるならば私が店を廃業せざ るを得なかったのも仕方のないことなのかもしれません。何故って、私も消費者の一員であるのですから…。

《 涙。》


 競争の中にあって生き残りをはかる為に現在はリストラが社会問題となっています。本来はリストラとは再構築 の意味らしいのですが、現実は首切りと同義語となっています。一般的には、リストラとは 「会社から首を切られ ること」 ですが、私の場合は市場からリストラされたといえるでしょう。ですから、リストラされる側の気持ちは痛い 程分かります。では、リストラする側の気持ちはどうなのでしょう。
 現在業績不振により、リストラを進めている企業は 「重さに耐えかねて沈みそうな船」 に例えられます。誰かを 船から降ろさなければ船は沈没してしまいます。そして、その誰かを指名するのが経営者です。指名しなければ ならない経営者は辛いだろうと思います。人に恨まれることもあるはずです。それこそ苦渋の選択です。普通の 感覚の人であれば夜も眠れないでしょう。ところがリストラに成功している企業は株価が高くなっていくのです。市 場が高く評価しているのです。つまりその経営者は市場に誉め称えられていることになります。
 私は、市場は消費者のある一面を表していると考えています。もし、リストラをしている企業は 「冷たい企業で 失業者を増やしている」 という理由で消費者が買い控えをするなら、その企業は一層売り上げが落ち株価が下 がるでしょう。しかしそうなってはいません。
 以前、某大手電機メーカーが修理の対応についてホームページ上で一男性に非難され、そのアクセスの多さに おののき謝罪していました。企業は消費者に無関心ではいられないはずです。
 その消費者は相反する矛盾することに直面していると先程述べましたが、人間は生活者である面と、消費者で ある面を無意識の内に使い分けているのでしょう。生活者の面から考えるならリストラされるのは困るものです し、消費者の面から考えるとリストラもやむ得ないと思っているのです。この二つをどのように調整していくかがこ れからの問題です。日経連会長である奥田氏が 「人間の顔をした市場主義」 とうたっていますが、市場は人間 の一面を表しているにすぎません。その市場に人間性をより多く注入していければいいなぁと思っています。で も、それって一番難しいのだろうなぁ…。

《 悩。》


 人間は「生活者」であり 「消費者」 であるわけですが、私がお店を営んでいて好印象を持ったお客様というのは 「生活者」 の顔を待った 「消費者」 であると思われます。単に「消費者」の側面だけを持ったお客様ではないので す。そこに 「生活者」 の匂いがするのです。私は社会に出るまでは、「消費者」 の側面だけを持った人間でした。 社会に出て初めて 「生活者」 の一面を知ったのです。そして組織から離れて個人事業主となってさらにその重要 性を痛感しました。そして営業年数が重なるに連れて増大していきました。
 先日、新聞にファミリーレストランでアルバイトをしている女子学生の投書がありました。食事に来た家族連れ のお客様で子どもが走り回っているのを 「親が全く注意しない」 という内容でした。その親御さんには 「生活者」 の匂いは全くありません。「消費者」 の顔だけです。「生活者」 の顔とはつまり、他人への気配りなのです。「生活 者」 となるためには働かなくてはなりません。社会に出て働くということは自分以外の人に対して気配りをしなけ ればいけないということにもなります。
 消費者に直接接するサービス業、飲食業、営業などに従事している人たちはお客様に対して、他の業種に従 事する人たちに比べて、より一層の気配りをすることを求められます。私はらーめん業を経験してやっと生活者 の顔を知りました。人間は「生活者」の顔と「消費者」の顔を使い分けていると書きましたが、本来の姿は “使い 分ける” のではなく “伴って” いなければならないのです。その伴い方は個人の人生観、経験によって差異があ るのでしょうが、使い分けるのではなくその二つは手を取り合ってこそ意義があるように思えるのです。…そんな 甘いことを言っているからつぶれるんだと誰かに叱られそうですが…。

《 願。》


 この 「生活者」 と 「消費者」 の矛盾に直面しているものに環境問題があります。原子力問題も同様なことで す。皆が電気を使うから原子力は必要だといいます。それでは電気を使わなくすればいいのですが、現実問題と して不可能でしょう。そこには 「消費者」 の顔しか見えてきません。それでは、と 「生活者」 の顔を強制的に押し 付けることも一つの方法です。しかし、それは “自由” とは相反するものです。自由でないところに競争は生まれ ません。競争がないということは 「消費者」 としての利益を失うことを意味するのです。小さなお店がなくなって寂 しいというならば、「消費者」 としての利益を失う覚悟が必要なのです。そしてその覚悟を社会に押し付けなけれ ばなりません。それを社会が納得してくれるのでしょうか。
 そのような自由でない社会というものは権力者にとって都合の良いことです。自分の思い通りにすることができ るのです。戦争の悲惨さを伝える記事が新聞に載ります。二度と戦争を起こしてはならないと思います。その為 には “自由” はどうしても必要なのです。そして、自由を求めるのであればそこには自己責任がついて回ります。 私が廃業したのも自分の責任なのです。このように “自由” であることを求めるならば、競争する当事者であるこ とを甘受しなければなりません。

《 忍。》


 運動会で順位をつけることを疑問視する投書が載っていました。順位をつけると後位者が 「かわいそうだ」 とい う意見です。競争する当事者になるということは順位をつけられることです。しかし、例え徒競走でビリになっても その悔しさをバネにすることもあるでしょう。それよりも、ビリになった人の気持ちが分かる人間になります。
 社会に出ると競争ばかりです。まず、就職するにも大企業に入るのは至難の技です。大企業の割合は日本全 体の中で一割くらいのようです。ということは就職を希望する人のうち、十人の中でただ一人勝ち残った人だけが 入れるのです。大企業はやはり賃金、待遇、福利厚生などをみても零細企業に比べると雲泥の差です。良い条 件のところに入ろうとするのは当然です。今は大企業もつぶれる時代だといわれますが、零細企業に比べるとま だまだ安泰です。私のように最初から 「大企業に入れるはずがない」 と諦めていた人も含めて九割は勝ち組に 入れないのです。このような競争が大企業、高級官僚を頂点に中小企業、零細企業そして、私が属していた個人 事業の世界まであらゆる階層で起きているのです。
 世の中は学歴社会といわれています。就職する際にも学歴がモノをいいます。それが現実です。それを 「良く ないことだ」 という人がいます。私も廃業する前は面接する側にいました。その場合、やはりその人の学歴も参 考にしなければその人物を判断することができないのです。面接時間内で話を聞いてもとうてい分かるものでは ありません。誰しも面接に臨んでいる時は、自分を作っているのですから尚更です。その人の学歴や仕事歴を参 考にする以外ないのです。大企業に行けば行くほどです。仮にそれらをなくして、人物像だけで判断されるとする とその時の面接官の性格、人生観だけで合否が決まってしまうことになります。これはある意味恐いことです。
 例えば学校の成績をテストなどしないで先生の個人的感覚だけで決められたなら、たまったものではありませ ん。学校を勉強する所だと限定するなら、そこでは、点数で判断される方が公平なのです。点数で判断されない となると、気の合わない先生に担当されたらもう最悪です。その先生が担当を代わるまで成績は悪いままで終わ ってしまいます。それを点数で判断されるなら、気の合わない先生であろうといい点を取ればそれに見合った成 績を示されるのですから公平なのです。
 よく大学受験を偏差値教育の弊害だと批判する声を聞きますが、大学受験は点数だけで合否が決まるのです から公平なのです。学問ができるかどうかという点においてのみ公平なのです。(仮に学校を学問を学ぶところで はないと前提するならば試験のやり方を変えれば良いのです。しかし、学校は学問を学ぶための所だけではな いと望むよりそれ以前に進学などしないで別の道に進むのが本来の姿だと私には思えてなりません。)やはり学 校の成績はテストをした方がより公平に近くなるのです。ですから、徒競走という種目の中で順番を付けられると いうことはその成績を判断されることなのです。走るということにおてのみ公平なのです。その結果、ビリであった ということは走るという種目においてのみ競争に負けたというに過ぎません。但し、競争に負けたことと人間性は 全く別の次元です。そうでなければ私は浮かばれません。逆に言うと競争に勝ち続けている人の人間性がすばら しい、優れているというわけでは決してないのです。
 私がらーめん屋を営んでいる時、お客様の中に 「勝ち続けているらしき人」 をたまに見かけました。こういう人 は私には 「勘違いをしている人」 に思えて仕方がありませんでした。思い返してみますと、私もらーめん屋を始め て四年目あたりは勘違いをしていた時期がありました。大して勝ち続けているわけでもないのに若さの至りでしょ うか、どこか “うぬぼれ” がありました。自分は脱サラをしているんだという “うぬぼれ” です。この時期、私はこ とあるごとに 「サラリーマンは~」 という言いまわしを使っていたように思います。恥ずかしい限りです。
 私がサラリーマン(あ、使ってしまいました)時代には接する機会のなかった職業の人として税理士さんがいま す。どこか閉鎖的でした。どの税理士さんにしようかと、探しても報酬などが明確ではありませんでした。らーめん 業界などのように、お客様の立場の人間が価格で選択できないようになっていました。敷居が高いという印象で す。
 私の妻が交通事故にあったとき、思うように示談が進まず、解決の糸口を教えてもらうべく弁護士さんとお話し する機会がありました。そのときの印象は、税理士さんとどこか似ている感じがしました。どちらも難関の国家試 験に合格しなければ就けない職業です。そして、サービスの受け手を決して 「お客様」 とは考えていない職業で す。エリート意識を持つ高級官僚と共通するものがあるように思います。
 こうした人たちと同じ意識を持っていると思えるのが大手新聞社やテレビ業界などマスコミで働いている人たち です。これらの企業に入社できるのは社会の中でほんの一握りの人たちです。高校、大学といつも勝ち続けて来 た人たちです。この人たちに敗者の心の奥底が分かるのでしょうか?
 例えば、山一証券が倒産した際に失業した人が多数出ましたが、マスコミは揃ってその失業した人たちに対し て同情の念を示しました。確かに、倒産する可能性の低い大企業の中にあって、倒産の憂き目にあったのです から同情されるに相応しい境遇ではあります。 しかし、私は思います。山一證券の人たちは「まだ恵まれてい る」と。
 なぜなら、山一の失業者の人たちは、きちんと退職金が貰えまた再就職先までケアされているからです。こうし た手当ては大企業だからこその処遇です。世の中の大半を占める中小、零細企業に勤めている人たちにとって は考えられない処遇です。中小、零細企業に勤めている人たちは、もし会社が倒産したなら、退職金などは貰え ず再就職先も自分で探なければなりません。
 マスコミに勤める人たちは大企業に勤める人が失業に遭遇する稀なケースについて取り上げる前に、中小・零 細企業に勤めている人たちの境遇についてスポットを当てるのが本当ではないでしょうか。そうした視点を持たな いマスコミの人たちに対して私は疑問を感じてしまいます。視点が高い、と感じてしまいます。真に世の中につい て記事を書くのなら、もっと視点を低くすることが必要なように思っている今日この頃です。

《 謙。》


 学級崩壊という言葉が新聞によく出てきます。学校の中において生徒はどういう位置づけをされているのだろう と考えることがあります。
 学校は教育する場ですが、企業においても研修という教育の場があります。この場合、企業は社員に給料を払 っているのですから、社員は消費者の立場ではありません。ところが、学校の場合は生徒にお金を払っているわ けではありません。逆に生徒の親からお金を授業料として徴収しているわけです。ということは、消費者にあたる わけです。私は消費者を相手に仕事してきましたから、その意を強く感じるのです。生徒を消費者としてとらえ て、学校運営をするならばそれは消費者すなわち生徒の利益につながると思うのです。それが、学級崩壊を防ぐ 一つの手だてになる気がしてならないのですが…。

《 望。》


 学校での競争でも厳しいものがありますが、企業間の競争そして企業内での同僚との競争はもっと厳しいもの があります。何しろ生活に響いてきますから。
 プロ野球の世界を見てもレギュラーを獲るために競争があり、その競争により技術の進歩が見られチームを強 くしていきます。個人で行うスポーツにしてもライバルに勝つために技術を磨きチャンピオンを目指します。そして 観衆はより高度な戦いに感動します。その競争が高度であればあるほど感動も大きくなります。四回戦ボーイの ボクシングより世界タイトルマッチの方が感動が大きいのです。
 そのとき勝者がいれば必ず敗者がいます。それは仕方のないことです。そして観衆は勝者、敗者が生まれるこ とに感動するのではなく、その戦う姿に感動するのだと思います。汗を噴き出しながら髪を振り乱して一生懸命戦 っている姿、働いている姿にです。何よりも一生懸命やっている姿が尊いのです。企業内の競争においても出世 することは結果であり、それよりも一生懸命働いていることがすばらしいのではないのでしょうか? その結果、 出世できれば全くもって申し分ないのです。私は敗者ですのでそう思うしかないのですが…。

《 克。》

∞∞∞∞∞  ∞∞∞∞∞  ∞∞∞∞∞

 最終回はらーめん店とは直接関係がありませんでしたが、らーめん店を営んできて感じたことを述べたかった のでお許し下さい。
 本講座も今回をもちまして終了とさせて戴きます。らーめん店の実態が少しでも伝わっていれば幸いです。前回 も書きましたが、球の速さを、そして実際にバッターボックスに立ちその早さを目の当たりにしたときの恐怖心を 感じて欲しいのです。そして、今後の判断の参考にして下さい。それでは最後までお読みいただきありがとうござ いました。

第14回(最終回)  肝銘

《 なやみはつきねんだなあ 生きているんだもの 》

                                      相田 みつを
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